イエス、で広がるご縁

影響を受けた言葉、作品はなんですか??

実際に聞かれたことはないけれど、

よくそんな質問を目にすることはある。


好きな作品や、そのときその一瞬影響を受けたものはたくさんあるし、気持ちを変えたいときに思い出す言葉や思い出もたくさんある。

けれど、影響を受けた作品としてなにかを挙げるのは難しいと思っていた。

理由は定かではないが、心のどこかで

「人生に 影響した作品」、今の自分を支えているではなく「作品からなにかを受け取り、その作品がなければ今の自分はいないというほど影響を受けた作品」と思い換えているからかもしれない。

この「影響を受けたxxはなんですか?」は、わたしの中でそんな簡単に、軽い気持ちで応えるべき問答ではないのだ。


そんなわたしが、このン十年生きてきて、数年前に出会った「影響を受けた作品」は

ペイトン・リード監督の イエスマン

映画のあらすじとしては以下である


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「ノー」が口癖の人生に後ろ向きな男カールは、生き方を変えるために参加したセミナーで、「どんな事に対しても『イエス』と答えることが、意味のある人生を送るための唯一のルール」と教えられる。それから「イエス」を連発するようになったカールの運気は上がっていくのだが……

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引用 映画.com【https://search.yahoo.co.jp/amp/s/eiga.com/amp/movie/53530/%3Fusqp%3Dmq331AQQKAGYAdi-6PTV5-_yFLABIA%253D%253D


そもそもわたしは作品の登場人物と自分を重ねて、映画を見ることはあまりない。

その上で感じたのが、

一人の時間を過ごしたいばかりに、お誘いを断っていた自分とそっくり! なのである。


スタートラインはわたしと同じものの、

当然イエスマンの主人公カールは、わたしとは大違いの人生を歩んでいく。

まあ映画の主人公なのだから、一般庶民のわたしと同じでは話が成り立たないのだけれど。



さて、話を少し方向転換してしまうが、

通常の、作品内の主人公はなにかしら極端なものを持っていて、だからこそ自分と重ねることは難しく、かつ素直にお手本にもできない。

たとえば、極端に天才、極端に努力化、極端に明るい…。ネガティブなものだと、極端に運が悪い、極端に悲劇が襲いかかる…などだろうか。


そんな中、主人公たちは壁を乗り越えたりするのである。こんなことを言っては、怒る人もいるだろうが、たいていは気持ちや忍耐で解決し、逆に解決できない(後味の悪い映画などがそれにあたると思う)。

だからこそ、わたしは、

作品の主人公たちから、ほんの一部を学んだり、ポジティブに考えようとするための材料にしたり、人生の中のほんの一瞬勇気づけられたりすることはありさえ、わたしが考える意味で影響を受けたと言えるものには巡り会えなかった。



だが、イエスマンは違う。

あらすじにある通り、どんなことにもイエスと答えればいいのである。

才能も努力も、周りの環境も、お金も、子供の頃からしていなければいけなかったこと、そんなことなにもいらないのである。

今からでも実践でき、そこにはなんの力もいらないのだ。



実際に、わたしは社会人になってからこの映画と出会い、即翌日から実践した。

たいていのことには本当にイエスと答えるようにしたのである。


「イエス」を使い始めた当初、一番印象に残っていることがある。

会社の定時後のロッカールームで、

先輩が、「林檎をもってきたんだけど、食べる?」と聞いてきたのだ。

当然、「食べたいです!」と返事をしたのだが、

おそらく過去のわたしはいくつかの選択の末断っていただろう。


第一ネガティブなわたしは、

そもそもこの先輩は部署が違うし、たまたま私がここにいたから、善意で、社交辞令的なもので声をかけてきたのではないか、ならば遠慮するのも筋のひとつであろう と結論づけたに違いない。



わたしが「食べます!」と言うと、先輩は「じゃぁ今から切り分けるから、待っててね!」と言ってくれた。


…えっ、今から切るの…??

もうこれは断った方が良かったのである、

そう思った。

けれど、結局食べた。10分くらいお話ししつつ1切れ食べた。


先輩は正直面倒だと思っていたのだろうか。

それでも、その数年後の今でも思い出すこの出来事は、「食べます」と言ったから作られた思い出である。



こんなことがいくつもあって、

人との繋がりが濃くなったように感じる。

新たなご縁としては、前職の先輩(上の経験談とは別の先輩)と未だにご飯に行く仲になれたことや、いわゆる一期一会の人とのたった1度の時間延長した繋がり。

もちろん継続した繋がりもある。

本当にたくさんの思い出が増えたと思う。


きっと、わたしが「ノー」と言ったことにより紡がれなかった縁がいくつもいくつもあったんだろう。

今更後悔しても遅い。

けれども、わたしがことごとく「ノー」とぶった切るように言葉を放っていなかったら、イエスマンを見ても心に刺さらなかったのだろう。

第一フィーリングで行きたくないものは行かない、行きたいものは行く、そんな取捨選択を続けていたのだろう。


もちろん、ほんとうに嫌なことは「ノー」という。けれども、物語の主人公でない私には、本当に嫌なことはなかなかないのである。

「ノー」という言葉を吐き出すときは、大抵面倒なときなのである。



わたしは、自分のためにもこれからもイエスマンから影響を受けた、イエスの返答を投げ返していきたいと思う。